米澤穂信「儚い羊たちの祝宴」感想
「ラスト一行の衝撃」の捉え方次第の相性はあるかも
直近のコンテンツ受容記録など。
米澤穂信「儚い羊たちの祝宴」
上流階級の子女のみが参加できる読書会「バベルの会」のメンバーを巡るミステリー5編。
米澤氏らしい日常ミステリかと思わせてするりと殺人事件につなげてくる筆運びはさすが。
特に前情報なしで購入したが2日で(正確には寝る前に読み始めていったん寝てから午前中に)読み終えてしまえるほどには楽しめた、といえる。なんか持って回った言い方だけど、シンプルに面白かった。

舞台となるのは地方都市を牛耳る名家だったり、華麗な別宅を持つ素封家だったり。跡取り息子を産むことができずにいびられる嫁やお嬢様付きの使用人、座敷牢のような離れなど、前時代的なイディオムが連なってくる。おそらく敢えて時代を明示する描写を極力廃して「旧家における犯罪」を駆動する背景としてのアナクロイズムに説得力を持たせる仕掛けをしているのではないだろうか。横溝正史の名前は出てくるから戦前ということはなさそうだけど
肝心のストーリーはある意味一発ネタというか最後でドンと落とす系の話が多い。これは短編ミステリという形式上必然ではある。
まあどうしても話のラストを頓知で締めくくって「いかがでしょう?」みたいな雰囲気も出てしまうので、これは好みは分かれるかもしれない。もちろん短編ミステリという形式自体が持つ問題、というか特徴であって、この作品がどうこうというわけではない。
帯の煽りでは「どんでん返し」みたいな書き方をしていたけどこの形式なら作劇上どうしたってどんでん返しを狙っていくわけで、あまり正確なキャッチコピーとは言えない気もするがここに目くじらを立てても仕方ないことではある。
全体としては物語の舞台のせいか、ある種の格調のようなものも感じられて、なんというか小説という手法ならではの醍醐味も味わえた。 雰囲気としては谷崎や太宰っぽく見える部分もなくはない。 言い過ぎかw
Kindle Paperwhiteの使い道を再考する
最近、仕事の内容が微妙に変わったので新業務に関するビジネス書的なものをいくつかkindleで買ったのだけど、図版が多用されてる本とKindle Paperwhiteの相性が気になっている。まあ特に目新しい話でもないけど一応書いておく。
そもそもの画面が小さいのでグラフの中の細かい文字が見にくいし、拡大するにもページ切り替えに時間がかかって煩わしく感じてしまう。E-inkは液晶のような輝度がなくて目に優しいので好きな仕組みではあるけど読み込み時間がどうしても気になってしまう。まあ自分が使っているのが結構前のモデルなので、最新版では改善されている可能性はある。

小説みたいな本当にテキストのみで組まれた本ならそこまで気にならないのだけど、その小説も自分の中で物理の書籍への回帰が進んでいる。
ページを行ったり来たりしながら読むのを前提とするなら、リファレンス性で紙の本を超えるのは難しい気がする。
自分はそこまで紙の「本」という形態にそこまでロマンチックなこだわりはないつもりなのだけど、シンプルに内容へのアクセスのスピードを考えると現時点では物理書籍に軍配が上がると思う。
液晶画面のタブレットで電子書籍を読む、という方法もあるが、やはり目へのダメージがあるので自分としては長時間使うのはちょっとキツイ。ただ、電子書籍をマンガを読むうえでは読み込みスピードと物理的スペースの観点から(マンガは関数が多いのでとにかく場所をとる)iPadが役立っている。
そうするとKindle Paperwhiteを今後どう使っていくのか・・?現状だと使い道が見つからない、ということになってしまう。
出かけるときに持って行く本を選ぶのが面倒なときはKindle Paperwhiteをポンとカバンに入れればいいので、そこはメリットかな。スマホとKindle Paperwhite持っていけば何となく間が持つし。ただ昔のモデルは単体で3G通信ができたので、外出先でも読み進めた場所の同期がしやすくて使い勝手がよかったが、それもなくなってしまったので辛い部分はあるのだけど。
外出用と割り切ればそれはそれでいいのかもね
女性はシューティングゲームに向いてない、という話
「女性はSTG向いてない」問題。
この手の話も聞き飽きたというか、まだこういうこと言う人はそれなりにいるんだなという感想。
https://x.com/LeiNa_Rosa/status/1967046150592360907
先天的に脳内の情報処理の仕方に生物学的な男女差異がある可能性はあるのかもしれない。わからないけど。
一方で、おそらく大抵のことは生物学的差異よりも個人の努力の差が大きいんじゃないかな。
よっぽどハイレベルまでいけば差は出るのかもしれないけどね。
あとはシンプルに男女の母集団の差。STGの例で言えば明らかにプレイヤー数の男女差が大きいだろう。
例えば学校の成績とかでいうと女子はアベレージが高いけど最上位・最下位グループは男子の方が多い(男子のほうがピーキーな分布になる)みたいな話はなんとなく肌感覚としては理解できる。
ただ現状では母集団の数の問題のほうが大きんじゃないのかな。しらんけど
あとは料理人の話。、女性はは体温が一定でないから料理に熱をいれる感覚が毎回異なる、だから体温が一定の男性よりも味が一定しないとかなんとか。
仮にそれによる温度に関する認知能力の差があるとしても、努力と知識量の差の方が圧倒的に大きいような気がする。もちろん超ハイレベルな微小な差異を求めるなら違いはあるのかもしれないけど
女性のバイオリズム系の話を持ち出して男女差を云々するのって、男性にとってのブラックボックスを弄んでいるだけな気がしてなんとなく居心地が悪くてできれば遠ざけておきたい。
まあ何事も二元論を振りかざすタイプの言説には気をつけましょう、ということで。
角川文庫の「100分間で楽しむ名作小説」がなんか良かった
今日はPCパーツを買いに行くために久しぶりに外出。ついでに最近ご無沙汰していたリアル書店に立ち寄る。
夏の文庫フェアを各社で開催していたので平積みの棚を眺めていく。
その中で目を引いたのが角川文庫の「100分間で楽しむ名作小説」シリーズ。
カバーが千代紙みたいな手触りの良い用紙になっていてちょっと洒落た雰囲気を出している。手に取ってみるとだいぶ薄い。普通の文庫(というものがあるとして)の半分くらいの厚さだ。(あとで測ったら厚さ7mmだった)。どうやら中編小説1篇を1冊にして読みやすさ重視の作りにしてある模様。
小説を読むスピードはそれぞれ。
じっくり本を読むことに割ける時間もまた人それぞれで、
1分も本を読めなかった、そんな日もあるでしょう。
集中する時間をどう味わうか、それはあなた次第。
だけど、本を閉じるときの
「読んでよかった」という満足感はきっと同じ。
そんな気持ちを一緒に味わいたくて、
あなたの手におさまる物語をあつめました。
(角川のサイトより)
帯に「久しぶりに読み切れた!反響続々の新シリーズ」とあるので小説から離れた大人の読者や小説慣れしていない若者をターゲットにしているシリーズなのだろう。文字も大きくしておりどうにか「1冊を読了する」体験をしてほしいという意図が伝わる。おもしろい試みではある。

まあ「100分間で楽しむ名作小説」とか言われると多少なりとも読書にこだわりを持ちたい者としてはちょっと鼻白んでもしまうのだけれど、自分で言うほど本を読めているわけでもないので素直に買ってみることにした。
ラインナップは
寺山修司『ポケットに名言を』
夢野久作『瓶詰の地獄』
坂口安吾『白痴』
など。
思いっきり夏休みの中高生向けではある。ファミコン世代のおじが手に取っていいのかはともかくなんとなく気になった恒川光太郎『夜市』を選ぶ。タイトル・装幀・背表紙のあらすじ以外の情報を入れずに決めてみた。
上記のような比較的名作というかそれなりに時間の洗礼を受けた作品の中に並んでいたので少なくとも1970年代くらいまでの小説かと思っていたがカバー袖の概要を見ると2005年にホラー小説大賞受賞とのこと。新しさにも驚いたが、そもそもホラーとは意外だった。妖怪云々とか書いてあったからまあそうなんだろうけどファンタジー寄りかと思ってた。
購入後にそのまま近くの喫茶店で読み始める。「永久追放者」とか「一つ目ゴリラ」とか謎のキャラがいきなり出てくるけど特に背景の説明も詳細な描写もない。当然のように話に入ってきてシーンがさらっと終わる。フロムゲーみたい。
100分間で楽しむ、とあったけど結局1時間もかからず読み終えた。
本を買ってその日に読み終えるなんて経験はもう何年ぶりか・・たぶん中学生の頃のアルスラーン戦記とかそれ以来じゃないかな。最近は1冊読み切る集中力が本当になくなっている(特にフィクションの場合)。
集中を続けられる理由にはもちろん作品自体の面白さやよみやすさもあるのだけれど、実際に手に持っている本の軽さと薄さの影響も小さくない気がする。おそらく自分がこれまで手にした文庫本の中でもトップクラスに薄いので「さすがに読めるでしょ」と自信を持ったまま読み続けられた(これまでのマイ暫定1位は『かもめのジョナサン』)。これは紙の本ならではだろう。
そして何より最初に「100分で」と読了時間を提示されていることによる安心感もある。まあ言っても2時間弱だし、それくらいだったら何とか集中できそうな気がする。購入時に「鼻白んだ」と書いたがこのキャッチコピーがなければ読んでる途中で喫茶店を出ていたかもしれない。
あと「100分で」と最初に言われると微妙に煽られてる気もして「読めらあ!」と気を張って読み続けた、というのもある。
何にせよ「本を一気に読む」というずいぶんしばらくぶりの懐かしい体験をさせてもらえたし、自分の読書という行為への愛着というか帰属意識も確認できた。やっぱ本っていいじゃん。みたいな。
ナイトレインやりすぎ問題
ここ1ヶ月くらい本も読まなくなったし英語の勉強もしなくなった。原因は明確で、ひたすらELDEN RING NIGHTREIGN(エルデンリング ナイトレイン)をやっているからだ。
(久しぶりのエントリーだけど、まとまった文章でなくてもいいのでカジュアルにまずは書いていく、というスタンスにしていくつもり)

本作は、他プレイヤーとともに圧倒的なシチュエーションに挑むアクションゲームです。『ELDEN RING』の敵や武器などの要素の一部を引き継ぎながら全く異なるゲームデザインで再構築した本作では、
プレイヤーはそれぞれ個性の異なるキャラクターを操作し新たな脅威に挑みます。(公式サイトより)
一言でいうとELDEN RINGのアセットを使ってモンハン+PUBGみたいな協力型アクションを作りました、という感じ。
毎回の出撃セッションのたびにキャラのレベルも装備も基本的にはリセットされるので継続的な素材集めや武器ファーム的な要素はない。毎回ランダムに3人チームがマッチングされ、時間経過で収縮するマップを探索しながら敵を倒してレベルを上げ装備を整えてボスに挑む。1セッションは最大でも40分くらい。
自分はあまりコープ系のゲームをやらないので他の事例を知らないだけかもしれないがこのゲームのシステムが本当に秀逸で、軽く始められるにもかかわらず気づけば何セッションも繰り返し、いつしか膨大な時間が消費されていることに唖然とする、という日々を繰り返している。
マップと敵配置のランダム具合が絶妙で、1回終わっても別のルートやビルドを試したくなりプレイを繰り返してしまう。また、フロムゲーらしくそれなりに歯ごたえのある難易度なので「You Died」になることも多くこれも連コしたくなる要因になっている。
このまえ確認したら発売後6週間くらいの段階で135時間プレイしていた。まあガチ勢に比べれば対した時間ではないけどさすがにちょっと依存してしまっている気もし始めている。
依存の要因の一つはおそらく「他者に迷惑をかける存在でいたくない」という根本的な欲求だと思っている。
基本的には強敵に対して3人同時に挑むのがセオリーなので、一人がマップ内の移動に手間取ったりして出遅れるとそれだけ戦闘が不利になってしまう。フィールドや施設内の構造を把握しておくことは必須の条件なのだ。だからマップ把握のために何度もプレイして練習することになる。
また自分が死亡すると仲間が復活させてくれるのだが、これがそれなりにリスクを伴う行為となっており、戦闘中に死亡者の面倒を見ることになるのでどうしても生き返らせる側が危険にさらされることになる。敵の猛攻の中、死んでしまって何もできない自分を復活させようとしてくれるパーティメンバーを見ていると申し訳ない気持ちになってくることもしばしばだ。メンバーに迷惑をかけないよう敵の対策を取るために、これも何度も練習をかねたセッションを繰り返すことになる。
前述したように自分は協力系ゲームをちゃんとやったことがなくシューティングのようなスタンドアロンのゲームか、格闘、麻雀などPvP系のゲームをメインにプレイしていた。これまではゲームのスキルは自分のためだけに使っていたが、ナイトレインでは仲間のため(さらに言うと見知らぬ一期一会のプレイヤーなのがミソだ)にマップ把握やボス対策をしている自分がいる。
たぶん心理学的には色々あるんだろうけど(「影響力の武器」あたりに書いて有りそうな)うまく設計されているゲームだとは思う。だからこそ、本も読まず勉強もせず、このゲームに135時間も費やしてしまったことに持って行き場のない感情を抱いてしまうのだ。
いちおう会社の人と1回セッションしてみようという話があるので、それが終わったら少しナイトレインとの接し方は考えるようにする。まあこの知り合いとのセッションをちゃんと成立させたい=迷惑かけたくない、というのもあるのかもしれない。
自分はよく知らないけど、ゴルフの練習するのってこういう気持ちなのだろうか。なんかそう思うと不自由な気もするけどナイトレインならまあ納得感はあるかな。同じことゴルフでやろうと思ったらキツイかも(ゴルフに偏見があるんだと思う。ごめん)。
とりあえずはソロでグラディウス倒せたので一旦の目標はクリア。
『百年の孤独』を読み始める
以前ちょっと書いたように、ノーベル文学賞や芥川賞受賞作品を読んでいこう、という試みを始めている。
そこで読み始めたのが『百年の孤独』。3年くらい前に単行本で買ってずっと積読していたものだが最近文庫化されたというニュースを聞いて、本棚から取り出して開いてみた。
購入して最初に目を通したときは「系図に同じような名前ばっかりで面倒そう」という印象で、そっと本を閉じてしまった。
しかし今回は文庫化にあたり素晴らしいツールが公開されている。文庫版の版元である新潮社作成の「『百年の孤独』読み解き支援キット」だ。
チャプターごとのエピソードの概略と人物名をより分かりやすくした家系図が掲載されており、私のような不誠実な読者でも安心して読み進められるありがたい資料になっている。
この手のアイテムに対してはいろんな考え方があるだろう。伝統的な読書好きを旨とする人々からは邪道の誹りを受けても不思議ではない。学生の頃の僕ーー若年性老害を撒き散らしていた自分だったら結構辛辣に否定していたことは容易に想像できる。
幸いにして現在はそのような老害ムーブから多少は脱却できているので今回の支援キットもありがたく使わせてもらうことにする。
実際、中身を見てみるとストーリーの概略といってもかなりシンプルに、最小限の情報だけでまとめられているので、支援キットを見ながら作品にあたったとしても読書体験自体を阻害することはおそらくないと思われる。
本作では開拓者とその家族、入植者たちを巡るエピソードが次々と折り重なるように展開されていく。物語世界から一歩引いたような語り口のためか、小説というよりも歴史書を紐解いているような感覚に陥る。
中上健次の『千年の愉楽』に似てると思いながら読んでいたけどそうではなくて中上が本作をイメージして『千年の愉楽』を書いたということに今更ながら気づいた。タイトルもそのまんまだし。学生の時それなりに中上読んだつもりだったけど全スルーしてた……
また、ウルスラが貞操帯みたいなのを付けられるシーンで寺山修司の『さらば箱舟』を思い出したのだけど、これも改めて調べてみたらそもそも『さらば箱舟』のほうが本作の翻案だったのだとか。高校生の時映画みたけど全然知らなかった。こういう発見があるから読書は楽しいね。
焦らずじっくり読んでいきたいのだけど色々浮気してしまって先に進めない。またある程度読んだら感想書こうと思う。
感想『猛スピードで母は』
変に肩肘張らずに純文学を読みたいと思い、近年の芥川賞作を読んでいくという試みを始めている。 ちなみにこれは2冊目(1冊目は『コンビニ人間』)。
例によってAmazonページのあらすじから引用。
あらすじ
「私、結婚するかもしれないから」「すごいね」。小6の慎は、結婚をほのめかす母をクールに見つめ、母の恋人らしき男ともうまくやっていく。現実に立ち向う母を子どもの皮膚感覚であざやかに描いた芥川賞受賞作に加え、大胆でかっこいい父の愛人・洋子さんと小4の薫の奇妙な夏の日々を爽やかに綴った文學界新人賞受賞作「サイドカーに犬」を収録。子どもの視点がうつしだすあっけらかんとした現実に、読み手までも小学生の日々に引き戻される傑作短篇2篇。

表題作は、子供時代の自分を振り返りながら母のことを思い出していく、という体裁でエピソードが展開されていく。 自由に生きながらもシングルマザーとして世間と渡り合っていく母と、それを冷静な視点(といっても愛情がないとかそういうのではない)で見ている娘の慎。
ふとしたことからいじめられるようになった慎は団地の壁面の梯子を登るよう強要される。けっきょく大事には至らなかったが、梯子と壁はある種の刻印のように慎を苛む。 母はその壁を文字通り「乗り越えて」いく。その小さな勝利をきっかけにクラスのいじめとも折り合いをつけていく。
最後のシーン、幸福の徴であるワーゲンの列を追い抜きながら物語は終わる。
年齢の割には老成していて動じることがない慎が、いじめの状況を誰にも相談せずにいる中で、母の行動・言葉に救われていく。 死ぬほどざっくり言うと親子の形は様々だけど色んな愛の形がある・・ということかな。
この小説自体は文体の耳触りも良く、楽しんで読むことはできた。 ただ、これは自分自身の問題として、この手の「日常系純文学」を言葉にする技術が壊滅的に少ないという事実に直面している。
主人公は冷めていて物事に対しても結構ドライに対応するタイプなので、饒舌に葛藤するような描写はほとんどない。 作中の事件も、日常的に起こり得ることばかりで、スペクタクルなシーンはない。 ここから色々読み解いていくのが文学の楽しみ方の一つなのだろうけど、どうにも語るべき言葉が出てこない。
例えば西村賢太の作品のように、視点人物の思いがダダ漏れの小説だったり、日常から逸脱した突飛な事件が起こる作品(最近読んだものだと「コンビニ人間」とか) なら、それらを取っ掛かりにして語る言葉を探すことができる。『猛スピードで母は』には(完全に自分のスキル不足で)明確なものを見つけられていない。
読み方なんてものに正解はないのは承知ではある。ただある程度は読書という行為を能動的に行っていきたいとは思っているので自分自身にとってはそこそこ気になる問題にはなっている。
無理やりまとめるなら、そのような課題を改めて可視化してくれたこの作品に感謝、とでも言うべきか。
まあこのへんは一度ちゃんと考えたいですね。