案外どうしようもないおじさんになっている
自分はテレビゲームがわりと好きで、多いときは週に10時間以上は遊んでいる。まあこの時間が多いととらえるかは人によるだろうけど、自分としては結構時間を費やしている感覚がある。
先日どなたかのツイートで「ゲームをクリアする時間と、それなりの資格の勉強時間が大体同じになると考えると、じっくりゲームに取り組もうとはなかなか思えない」みたいなのがあった。
これは自分にとっては物凄く衝撃で、なんかもうぐうの音も出ないくらい納得してしまった。いや、もう少し解像度を上げると自分のイノセントさに嫌気がさしたのだ。
趣味に時間を使うのもいいけれど、自分自身の学びとのトレードオフで考えるとずいぶん贅沢な時間の使い方をしてきたものだと呆れると同時に何よりもこんなシンプルなことに気づかず数十年生きてきた自分の世慣れなさというかナイーヴさに唖然としてしまった。
もちろん趣味の時間も大事だとは思っているし、資格を取ることが単純に疑いなく有意義なことと捉えているわけでもない。
ただ、このような誰でも思いつきそうな、ある意味手垢にまみれているであろう考えにまるで至らなかったことに驚き呆れてしまった。
さすがに何も改善しないのもダメすぎるので、せめてもの抵抗として純文学を読むようにした。阿部公房とか。若いころ途中で読み止めた『箱男』を読んでるけど当時よりも格段に楽しめているのが分かる。
ただまあこういう対策を取ろうとすること自体が中学生の頃から何も成長していないことの証左になってしまっている。いや勉強しろよ。世間にアジャストしようとしてくれ。