瓶詰ブログ

見た目は四十、心は中2

いい大人がコミケに行っている場合かどうか考えた

先日、いわゆるコミケコミックマーケット95)に行ってきた。40歳を過ぎての初参加だ。

マンガ・アニメ界隈には多少こだわりというか「オタク系文化を受容しつづけること」をずっと意識してきた自分ではあるけれど、このコミケというイベントには縁がなかった。

f:id:vonde_flo:20190210013803j:plain

もちろん若いころには周囲の友達に誘われたこともあるし、彼らの「戦利品」を見せてもらったりしたこともある。ただ特にこだわりもなく人混みが面倒くさい程度の理由で実際には足を運んでいなかった。

その一方で僕はコミケに参加した経験がないことがずっと気になっていた。
夏と冬にはテレビのニュースでもごく当たり前に取り上げられるようになったり、周囲でも会社の若い子が普通に参加していたり(中には出展者として参加する女子も)、コミケ周辺の事象はかつてよりも身近に見聞きすることが多くなっている。にもかかわらず「参加したことがない」ことにある種の負い目を感じていたのだ。
マンガ・アニメ界隈の最大の祭りともいえるコミケに行かないまま結構な年齢になってしまった。趣味の本道を通らないままガラパゴス的過ごしてきた時間を昇華させたい、事あるごとにそう思っていたのだ。

そこで、その思いを一気に解消すべく参加することにしたのである。

実際行ってみた結論は一言でいうと「あまり楽しめなかった」ということになる。
もちろん、大して下調べもせず、目当てのサークルがあるわけでもなく数日前に思いつきで行こうと思ったくらいなので(カタログも言い訳程度に当日購入した)、イベント自体に文句を言うつもりは毛頭ない。「楽しみ方が分かっていない」と言われれれば全くそのとおり。あくまでも僕自身の受け止め方の問題だ。
しばらく会場内をあてもなく歩いて心に浮かんだのは「ここは僕の居場所じゃない」という言葉だった。この言葉はいくつかの感情が入り混じった結果発せられている。

一つ目はある種の失望だ。

昼過ぎに会場入りしたせいかもしれないけど、僕が期待していた「濃い」雰囲気はあまりなかった。ある意味ものすごく健全というか、ごく普通に同好の士の集まりが展開されていた(当然なのだけど)。

オタクエリートがひしめくコッテリした空間を想像していたのに、案外普通で小綺麗で、なんというか拍子抜けしてしまったのだ。*1

もう一つは疎外感だ。

しばらく会場内を歩き回ってみたものの、これだ!というコンテンツに巡り会えなかったのだ。

これは開催日のジャンルによるものかもしれないが、ドンピシャにハマりそうな同人誌を見つけることができなかった自分で本を作ってしまうくらいマンガやアニメが好きな人がたくさんいるのに、 僕は結局その場に接点を見つけられなかったというわけだ。

これらの失望と疎外はどこから生まれてきているのだろう。帰路、りんかい線に揺られながら達した結論は「自分がこの界隈においてロートルであることを突きつけられたことへの動揺」だ。

僕はこれまで、現役の趣味人とは言えないまでもそれなりにキャッチアップしてきたつもりだった。まあ趣味への取り組み方なんて人それぞれでコミケ的な楽しみ方だけが正しいというわけではないが(そもそも楽しみ方の多様性こそがコミケのようなインディーズイベントの理念だろう)、この「遅れてきた」感にやはり戸惑いを覚えてしまう。
とはいえ前向きに考えるなら、趣味に関してはうまいことソフトランディングというか良い形で歳をとることができている、といえなくもない。

ちょうどその時読んでいた『「若者」をやめて、「大人」を始める』(熊代 亨)という本にこんな記述があった。

しかし、世間にはいまだに「昔の○○は良かった。だが、いまは面白いコンテンツがない、若い世代は面白いものがわかっていない」などと真顔で言う中年もいます。そのようなことをいう中年の大半は現役の愛好家ではなく、歳をとって趣味生活が維持できなくなった元・愛好家だと思われます。なぜなら、そのように言う人のほとんどは現在のコンテンツについてほとんど知らないし、ほとんど見ていないからです。

引用部分はいわゆる「老害」にならずに趣味の世界でも適切に加齢していくことが大切、という文脈で書かれているものだ。

幸か不幸か、僕の場合は老害になる(なれる)ほど「濃く」はないので若い者に圧をかけたりすることはない(たぶん)。けれども、趣味を楽しみながら適切に年を重ねるというのはちゃんと意識しないと案外難しいのではないか。
ただ、このような年齢に応じた振る舞いを身に着ければ、新たに楽しいことを始める際にも役立つだろう。

年相応の行動と年齢にとらわれないマインド、両者併せ持つことで楽しく過ごせる時間が増えるのではないだろうか。

そうしてポジティブに受け入れるならば、前述の「失望」はむしろコミケ的空間へのアクセスが容易であることの裏返しでもあるし、「疎外」はコミケ的空間が多様性を持っていることから生まれているとも言える。

ということで、次回の夏コミにも行ってみたいと思っている。

次はシューティングゲーム周辺のサークルを見てみて、同好の士からの刺激を受けてみたい。たぶん自分の取り組み方とは異なるものに沢山出会うことになるのだろうけど、同じジャンルでもいろんなアプローチがあっていい。

ただ、コミケ的空間が持っているであろう多様性に気づけたのは加齢ゆえだろう。おそらく自分がもっと若かったら「こいつらとは違うな、俺には関係ないけど」程度で終わっていたかもしれない。「いい大人」になったからこそ見つけることができる価値というものはやはりあるのだろう。加齢バンザイ。

*1:なんだか恋愛に過剰な期待をして肩透かしを食らって落ち込んでる若者と大差がない